二月も終わり。


どうも、須貝です。

今日で二月も終わりです。早いですねー。二月はあまり更新できませんでした。今日を含めても五回しか記事書いてない…。

モノフォニを終えてあっという間に箱庭の稽古が始まって、なんだかよく分からない内に箱庭もそろそろ劇場入り一ヶ月前です。パタパタ。

この間、森美術館でやっている医学と芸術展行って来ましたよ。いやぁ、面白い展示だった。

頭蓋骨がなくなるまでサンドペーパーに擦り付けられた作品(ザラつく質感の白い抽象画のような作品)とか、人の生前と死後のポートレイトを並べた展示(1m四方くらいの大きさ)だとか。普通の絵画展とはまた違う趣がありました。

出来上がった作品、というよりは、そこに至るコンセプトを大切にした作品が多く、「アートってなんぞや?」ということを考えさせられました。個人的にはもっと医学と絡んだ芸術作品を観たかったけど。ダミアン・ハーストのホルマリン漬けの牛をいつか観たいなと思います。

展示されているのが人間に深くまつわるものなだけに(普通の人物画だってそうだが)、観ている自分と作品との関係性が徐々におかしくなっていく感があって、例えば人体解剖図の展示なんかが非常に多かったんですが、観て行く内に段々それらが人間以外のものに観えてくるんですね。ヒトに対する客観性が強くなるというか。その内親近感が全く廃されていって、ただただ人体って美しいなという感想だけが残る、そんな展示でした。

ところで美術館に行くといつも面白いなと思うことがあるんですけど、展示物を観ていく内に、段々視覚以外の感覚も研ぎ澄まされていくんですね。例えば隣の人の匂いだとか館内に響き渡るヒールの音だとか。相乗効果なんですかね。

観終わった後は一人呑み。以前知り合いに連れて行ってもらった、すし居酒屋松っちゃんという変な居酒屋に行きます。ここは元々寿司屋さんだったそうなんですけど、今は立派な居酒屋。二本ほど通りを裏に入った所、雑居ビルや民家の間にひっそりとある入り口を進んで中に入ると、いきなり物凄い賑わい。金曜に行ったもんで、仕事帰りのサラリーマンの方々が思う存分呑んでいます。ここ、普段は生ビール一杯180円なんですよ(金曜は290円。それでも安い)。すげーな。

たらふく食べて適度に呑んで、2,800円。やっす。一人で来ても、皆ワイワイガヤガヤ好き勝手にしているから全然気にされないし、こちらも紛れてマイペースに飲み食いできます。

その次の日朝から仕事だったんですけど、少し早めに着いたもんで外で台本を読んでいた時にふと、自分には立派な所が一つもないなぁと思いました。同年代の人たちはご両親に仕送りしたり結婚して子供がいたりしているのに、自分はこんな寒空の下、頭からフードを被って小雨を凌ぎ、楽しみと言えばご飯を食べることやお酒を呑むこと、頭も禿げてきて足も脇も臭いおっさんになっていって、どんどん、人に誇れる所がなくなっていくような、追い詰められていくというか、しんどくなってきて、

「あぁ、目の前まで来ちゃってるけど、今日休んじまおうかな」

などと甘えたことを考えたり、していました。

誰しもおんなじようなことを考えているのかもしれませんが、こういう悩みは、誰かが同じことで悩んでいたからと言って慰められるわけでもありません。耐え抜くしかないんでしょうね。

だからこそ演劇にしがみついていているんだろうけど、段々、演劇をやっている以外に誇れるものがなくなっていくなと(それだって別に誇れることじゃないが)、それはとても恐ろしいことのような気がして(もしそれがなくなった時、僕は空っぽになる)、答えのないぬかるみにはまったような、そんな気がしました。

自分の家族にすら認められないのなら、そんなことは、やっていてもいいもんなんだろうか。自分に何もないのを、認めたくないだけなんじゃないのかな?

いつかこの文章を読み返した時に、「なに言ってんだこいつ」とバカに出来るか、その時にもまだ全く笑えない自分がいるか、どちらかは分かりませんが、どちらにしろ今は闘わねば。まだ途中で投げ出すほど、成し遂げてはいない。やりたいことが山ほどあります。

わたくしごとですが、四年くらい(多分)勤めていた早稲田どらま館を退職しました。新年度から正式に劇場として利用することが出来なくなるそうで。どうせなら建物ごとぶっ壊してくれりゃいいのにと思いましたが、今後は稽古場として利用されていくそうです。アホらし。

しかし本当にお世話になったなー。なんやかんやで大学時代も含めて七年通った早稲田ともこれでお別れです。

クソ喰らえ。

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