どうも、須貝です。
最近、今週の須貝兄弟の方で新しいことを始めた関係で、ネットで調べ物をする機会が増えた。役者の談や映画の撮影秘話を読んだり、果てはアカデミー賞の受賞スピーチなんてものも見たりしている。
で、思うんだけど、誰かが何かに対する考えを書いていたり、ただの噂から関係者の確かな証言まで様々なレベルで様々なエピソードを紹介していたりするわけだが、その話を元にまた僕は別のことを書くわけで、そうやって情報や考えや感想が伝播していくのが、面白い。
活版印刷が発明されて宗教革命とかが飛躍的に進んだわけだけど、おんなじことかなぁと思った。
誰かがネット上にある意見を載せる。それに賛同した人がその考えをまたネット上で紹介したり、さも自分の考えのように言い直したり、さらに細かい点を発展させてまたネット上に掲載する。賛同しなかった場合でも、それに反対して新たな説が登場する。その説に賛同した人がその考えをネット上に紹介し、ある人はアップグレードさせてネット上にアップする。それを見た人がまたさらに…。という形で思想は伝染していく。
時代は変わってツールは進化しても、その機構自体は変わりようがない。進化しようがない。広告とか情報戦略とかの面白い所は、技術が進歩しても方向性が変わらないことかなと思った。
ネット上の情報は、そうやって伝播していった先の末端を見ている気がしてなんだか頼りないような鵜呑みにしてはいけないような気がするが、それが二十も三十も見つかると、塵も積もればというやつで、段々本当なんじゃないかという気がしてくる。
それでもやっぱり大事なのは、オリジナルを知っていること。そしてそれに対する意見も出来るだけ多く知っておくこと。その上で自分の考えを述べることなのだなぁと思う。
ネットであったり本であったり人との対話であったり、様々な意見に身を晒すことが多いけど、大事なのは、自分がその考えに対し快か不快かという感覚の方であって、その考えの正否や真偽ではないんじゃないかという気もする。
結局自分の中の快、不快という感覚がブレてくると、様々なことに影響を及ぼしてしまうようである。
いかに真っ直ぐに生きるかということを最近よく考えている。