梅雨入り前に。


どうも、須貝です。

昨日も今日も晴ればれでしたね。どうやら今週はずっと晴れらしい。梅雨入り前に余った五月晴れを使い切っちまおうって感じですかね。気付いたら6月になってました。

そろそろ6月の柿喰う客の稽古も始まるんですが、この感覚は夏休みが終わる一週間くらい前の感覚にとても似ています。頭も体もなまっているからさっさと戻りたいが、休みの日々も離れ難い、といったような。

小中高って学校行くのがあんまり苦じゃなかったので、長い休みなんてかえって煩わしいぜと思ってました。とか言いつつ高校の頃は結構サボってました。三ヶ月にいっぺんくらいひどく気が落ち込むことがあって(今でもそうですけど)、そういう時はどうしても学校行けなくなったりして。なんてこともありましたが(人に言ったの初めてだ)、基本勉強もテストも学校も好きでしたね。

だから夏休み残り一週間なんて辺りになるともうそわそわし始めて、なんかもうこの中途半端な期間すげー嫌だなって思ってました。いっそのこと行ってしまえばいいんだと休み中の学校に行ったりして、教室で勉強してたり。僕の他にも結構そういう人いたなー。皆元気有り余ってるから家にいると逆にしんどくなったりしてたのかなー。まぁ結構真面目な学校だったんで。高校時代が一番好きだな。

どんどん自分を、しんどい状況に追いやってみたい。自分は貧弱だからすぐ逃げ出すけど、さらに追い詰めて段々ほんっとに逃げらんないようにしていく、みたいな。まだまだ伸びる。まだまだ伸びたい。でも今までと同じくらいだと、これ以上に行けない。演劇は修行だと時々思う二十五歳。

最近井上先生の『バガボンド』を読んでいると辛くて仕方がない。武蔵の生き方にとてつもない共感を覚えます。僕なんかよりずっと共感する部分が多い人は多いと思う。闘っている人は皆すべからく、協調する部分があるんじゃないだろうか。とりあえずしんどくて、先を読みたいが、君のその先に未来はあるのかという気がしてくる。
胤舜と闘うために修行する武蔵が、

「俺は何をしてるのか……こんなところで
 少しずつでも上っていってるのか それとも―
 ダメになっていってるのか
 そうじゃないって言ってくれ」

と自問する所があるんですが、とても心に沁みます。この言葉が、何をしていても繰り返し頭を過ぎるのです。

向き合えば向き合うほど、自分が本当に正しいのか間違っているのか分からなくなっていきます。
大丈夫、俺は正しいと自分を叱咤激励して騙して信じ込ませても、その信念が簡単に覆るくらい凄いものを目にしてしまうと、やっぱり俺はダメなのかもしれないと落ち込んで、いや、それでも俺は大丈夫とまた自分に言い聞かせて、の繰り返し。本当のことが見える目が欲しい。

今自分は、例え少しの間だけでも離れてしまった自分が恐ろしくて、自信なんてものはとても脆いものの上に成り立っているのだと思い知っています。

今年と来年は、自分を鍛えるため、新たな場に出会うため、そしてそんな風に不安になる間を与えないために、自分が本当に出たい所、一緒にやりたい人とは、無理をしてでもご一緒しようと思っています。結果かなりしんどいスケジュールになってしまっていますが、問題なし。上っていっている途中だもの。上を見ている内は、どんな辛いことも大丈夫。下を向いた瞬間に重荷になるのです。

梅雨に入る頃に役者須貝が再始動。雨男です。

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