幸せの情景

どうも、須貝です。

2011年もあっという間の2月です。ぼやぼやしていたらもういつの間にか一週間も過ぎているじゃありませんか。うっかりですね。

昨日、オーストラ・マコンドーのワークショップにお邪魔してきました。最初はただの見学のつもりだったんですけど、いつの間にか参加させてもらっていて、新年演じ始め、しかも久しぶりのマコンドーで緊張しました。しかしそれ以上に興奮、すごく楽しかったです。8月の公演でやりたいことのプレっぽい感じでエチュード(状況に応じて即興的に演ずる稽古です)をしたんですけど、いやー、楽しかった。これきっと面白くなりますよ。

その後、ゲキバカの鈴木ハルニさんと密かに進めているプロジェクトのための打ち合わせでハルニさん家へ。ご飯までご馳走になって深夜まで話し込んでしまいました。こちらも面白くなりそう。スリリングな企画ですよ。

昨年も充実した一年でしたが、今年、そして来年も面白そうなことが目白押しで、企画、準備段階で既に充分楽しい。実際に始動したらもちろん、もっと面白いんでしょうね。お楽しみに。乞うご期待です。息切れしないように演劇的にも生活的にも体力を付けないと。

さて、新居に越して3週間ほど経ちまして、周辺の地理や1人暮らしにもようやく慣れてきました。中野よりも各所への通勤が大変になることが分かっていたので、電車通いが増えるかと思っていたのですが、電車と自転車で掛かる時間が同じだということに気付き、結局自転車でばかり移動しています。ちょっとしたトレーニングレベルで乗っているため、お腹の空き方が異常です。困ったもんです。

日頃よく使う細い通り沿いに、5階建てほどのなかなか立派なマンションがありまして、そこを通り過ぎる時ほとんどいつも、「幸せ」ということについて考えます。

夜帰路に就き、その前を通り過ぎる時、家の窓々には灯りが点り、時折ちらりと人影が過ぎります。カーテンの色や室内照明の色の細かな違いはあれど、同じ大きさ形の窓が、連続して並んでいるその様子を眺めていると、これが幸せの情景のような気がしてきます。

何に怒りを感じるか、何を美しいと感じるか、といったような感覚は割合人によって違うものですが、何をもって幸せとするかに関しては、案外誰しも似たり寄ったりの感覚を持っているのではないかと思います。一般的に理想化されたある形に均されることが、幸せになるということなのではないかという気がします。いや、別に進んで均質化されること、平均化されることが幸せになるということではなく、多くの人が幸せだと思うことは均質で平均的なものなんだろうなと思うんです。

例えば誰かが結婚すると聞いたらそれはもちろん幸せなことだと僕らは思うわけです。50年間連れ添った夫婦の話と聞けば、それは自然幸せな物語であるはずだと僕らは思うわけです。ロックスターになって全米をツアーで回り、1億ドルを売り上げるというのは、そりゃあ凄いことでしょうが、幸せかどうかは正直分かりません。「結婚=幸せ」だって実際は同じくらい分からないことではあるんですが、どちらが幸せかと言われたら、後者の方が幸せという言葉に相応しい気はします。

縦横に並んだ同じ大きさの窓の中に収まること、そういった僕の中の「幸せ」のイメージに程近いそのマンション。実際その中に何が収まっているかは分かりませんが、僕はその窓の中に収まることをとても羨ましく感じています。

マコンドーのワークショップで、倉本さんと参加者の方々が対話する時間が冒頭にあったんですが、その内の質問の一つに、「大人になったのはいつですか?」というものがありました。様々な回答があって非常に興味深かったです。ちなみに僕の場合は4歳くらいの時、伯父の家でアフリカの様々な民族を撮影した写真集を見ていたら、「子供なんだから無理にそんな本見なくてもいいのよ」と母に言われた瞬間が、大人になった瞬間だったような気がします。「そうか、僕は子供なんだからもっと子供らしくせねばおかしいのだ」と思ったんですね。

この、「一つの窓の中に収まりたい」という欲求も、情緒的には大人になった瞬間と言えなくはないと思います。

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