リコンストラクション。

どうも、須貝です。

新しいものをどんどん取り入れたいという欲求が高まるのと同じくらい、今まで観たり読んだりしたものをもう一度見直したいという欲求が高まることも多いです。

今は後者の時期らしく、マンガや映画などずっと持っているものをもう一度取り入れ直しています。
特にマンガ、『ラフ』、『寄生獣』、『ここはグリーンウッド』と読み直し、今は『スラムダンク』を最初から読んでいます。

引越しの時に何度でも読み返したいと思うものしか手元に残さなかったので、今は自分的に厳選された作品しか残っていないんですが、片付けている時に読み始めた流れが今でも続いているんですね。きっと家にあるマンガ全部読み直すでしょうね。

「もっかい読みたいなー」という単純な欲求の他に、同じ作品を何度も見直すという行為には、今の自分を知るという目的もあります。正確には昔の自分との違いや変わらない点を見つけるためでしょうか。
年齢や置かれている状況によって同じ作品でも捉え方が違うもので、それは自分という1人の人間に置いても違ってくる。昔はここに感動したけど今はここに感動するなぁとか、昔も好きだったけど今でもやっぱりここ好きだわとか。

そうやっていくつもの作品を読んだり観たりしていくと、自分が譲らないものの姿が見えてくる。自分が拘らなくなったり許せるようになったりしてきたものの姿が見えてくる。

変わることが大事なのではなくて、変わりたいと思った時に自由に、気兼ねなく変われること、変わった自分の方が好きであるということが大事なのかなと思ったり。

また、変わらないことが大事なのではなくて、何年経っても変わらずに揺るがない部分、譲れない部分、自分の本質のようなものをよく理解すること、ないがしろにしないことが大事で、それを侵されることに対しては命も懸ける決意のようなものが必要なのかなとも思ったり。

何年か前(最近もかな)に政治の分野で「革命」とか「変化」とか「変革」とかやたら濫用されていましたが、そのどれもいまひとつ心に響いてこなかったのは、もしかしたらとにかく変えることが目的でその結果どうなるかを全く考えていなかったり、時代を経ても変わらない日本の根幹みたいなもののことを一切把握していなかったりしたせいなのかもしれませんね。そういう内容のない上辺の言葉は、人を飽きさせるし信用も出来ないし、第一つまらないと思います。

面白い、好き、という判断基準だけでなく、自分の試金石となるような作品というのは各々にあるものと思います。その人の本棚を見ればその人のことが大体分かると僕は思っています。皆さんにはそういう作品ありますか?多分何年か置きに読みたくなったり観たくなったりする作品がそれです。年に一度必ずTSUTAYAで借りちゃうんだよなーって作品がそれです(なんだよ、買った方が安いじゃないか、と思いつつ買わないんですよね。僕は『ダイ・ハード』がまさにそれですね)。その作品に関しては他人の評価は一切気にしなくていいものなのだと僕は思いますよ。ごく個人的に、あなたにとっての作品と思っていいものと思います。

よし、『スラムダンク』読み終わったら『よつばと!』を読もう。

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