最近思ったこと。2011年5月。

どうも、須貝です。

箱庭円舞曲第十六楽章『珍しい凡人』が終演してはや5日。次の日から普通に働いていたので、なんだか終わった感が薄いですが、終わりました。ご来場誠にありがとうございました。

休むことなく次、岡田あがささんとの二人芝居、『確率論』の打合せに入っているわけですが、これが終われば少しペース的にはリラックス出来ます。8、9月のmonophonic orchestraのために力を蓄えるつもりです。

つい昨日この『確率論』の細かいプロットの話を聞いたのですが、箱庭で使いきった気力を盛り返しましたね。いやー、素敵。そんな格好いい役を僕がやるのかと相当不安になりましたからね。そんくらい素敵。やってやりますよ。

不思議なもので、コンスタントに出演し続けないとモチベーションや体力や技術を保てない人と、一本一本時間を掛けて、年に一、二本くらいの方がいい作品を作れる人と大体大きく分けると二種類いらっしゃるようで、自分は前者だと思うんですが、さすがにそろそろ疲れてきたので、今年は出演本数少なめです。

その代わり書く場を設けたり与えていただいたりで、それもとても楽しみです。

実は、まぁブログでこんな話をしていいのか、という気もしないでもないのですが、この場で話せるということはもう落ち着いたと思って頂いて差し支えないので結局心配しないで下さいって話なんですが、今年の11月の箱庭が終わったら役者を辞めるつもりでした。まぁ一応本気で。いつもの弱音や愚痴ではなく。

今なら辞めても、先に決まっている話は謝れば許してもらえるかもしれない、とか、今からならまだ代わりの人を探せる、とか、思っていました。

去年の暮れ頃からそのことを具体的に考え始めていて、今年の始めになんとなく決意を固めていました。モノフォニを今年やろうと思ったのも、それで最後にするつもりだったからです。

僕、このブログでも何度も書いていると思いますが、役者をやっていて楽しいという人がとても羨ましいです。僕は役者をやっていて楽しいと思ったこと、あんまりありません。一つの作品に関わる時、稽古が始まってから本番が終わるまでを100とすると、多分その内の8くらいしか楽しいと思ってません。こんな辛いことを楽しいと思ってやれる人はおかしい。そう思ってやれる時点でそれは才能なんじゃなかろうかと僕は思いますが、その才能が欲しいかと言われたら別に要りません。

演劇を愛しているという人も羨ましい。演劇に向き合うと、自分の醜さとかお客さんの顔とか交互に襲って来て、舞台に立つこと、自分の存在を乗せることが怖くて仕方がなくて、いつも逃げたいと思っていました。それを乗り越えてさらにその先に得られるものがあるから演劇を愛せるんだと思うし、そこに携わる人たちを愛せるんだと僕も分かっているし、現に自分でもそう思うので結局僕も演劇を愛しているような気もするのですが、バランス的にね、愛しているかと言われたらちょっと分からない。

では、愛してもいない、逃げ出したい、楽しくもない、かつ大してお金にもならないことをなぜやっているんだろうと思った時に、自分が生きている意味がとても希薄に感じたんですね。

かつ、今回の箱庭の稽古があまり上手くいかず、伝わらない事や分かりあえない事をなんとかしようとする努力や、それでも伝わらず上手くいかず徒労に終わることの虚しさや、自分への信頼が失われたことへの絶望や、そもそも信頼はなかったのかもしれないという恐怖や、そんなこんながあって、これ以上やっていたら自分は、いつか自分を殺すかもしれないと思った時に、なぜ僕はこんな理由で死ななければならないんだと思って、死ぬよりは普通に生きようと思ったんですね。

負け犬でもいいから生きて、地元にでも帰って、両親にもちゃんとお金を払って楽してもらい、適当にあと40年くらい生きて、特に何も残さずに死んだっていいじゃないかと思い、僕がその決断をしたからと言って特に誰にも迷惑は掛けないなぁと当たり前のことに気付いて、お、なんだこれいけるじゃん、楽じゃん、辞められるじゃんとちょっとほっとしていたのでした。

などというヘタレた諸々を誰かに言うのも恥ずかしいのでずっと黙っていたのですが、れお君に何かの拍子で、箱庭の稽古中だったと思うのですが、漏らしたら、怒られたというか困られました。

俺が困るから辞めないでと、ごめん、それしか理由を挙げられないけど、困るから辞めないでと言われて、そうか、じゃあ辞めるのを辞めないとれお君を困らせてしまうなと思って、その時はまだ迷いつつでしたが、とりあえず続けようと思いました。

実はまだ迷っているのですが、多分続けるんじゃないでしょうか。今回の作品の内容と深くリンクして、もしかしたら、必要とされなくても別に続けていていいんじゃないかと、思ったのでした。少なくとも僕は僕の周りの人たちからは必要とされているわけだし、僕はやっぱり僕の表現したいことは表現したいわけだし、表現したいという衝動は好きや嫌いに関わらずあるわけだし、世間の中の僕を考えることをやめて、偽りなくある何かをやりたい衝動をちゃんと大事にして、生きてもいいかもしれないと、思いました。

舞台に立つことの怖さや疲れは、表現をすることの副作用というか副産物というか、必ずついて回ることなので、それを誤魔化さず隣に置いておいてやればいいだけの話で、まーなにもやめなくてもいいかもなーと、迷惑掛けても別にいっか!みたいな、変なポジティブになって、いるのです。

今回の箱庭円舞曲、父の出張が重なって久々に両親に観てもらえたのですが、終演後に会おうと思ったらもう帰ってしまっていて、もしかしたら恥ずかしかったからなのかもしれないんですが、あぁ、別に大したことはなかったのだなぁとか、まぁ応援してもらってもいないのかもなぁなどと思ってかなり落ち込んだのですが、変なポジティブに入っていた自分は、まぁいっか!どうせ人間なんて結局一人だもの!一人で生まれて一人で死んでいくんだもの!などと思って空元気、なんとか本番を乗り切ったのでした。

続けようと思った理由はもう一つあって、なんとなく、次に自分が至るステージが、今一線で活躍する役者さんたちや過去の名優たちがいたステージなんじゃなかろうかと、思ったからです。もしそこに行ければようやく彼らと肩を並べられる、そういう境地の入り口が見えた気がしました。今の僕は燻っていますが、もう少し頑張ればそこに行けるように感じ、ならばやめずに先を見に行こうと思ったのです。それがもう一つの理由。前向きな方の理由ですね。

…ってここまでダラダラ書いてますが、なんか結局根本的な問題を何も解決していない気がするんですけど、とにかく僕はもうちょっと頑張ってみます。28くらいまで頑張ってみます。

まーでもやめるかもしれません。やめないかもしれません。そんなんお客さんにとってはどうでもよくて、今僕が生きて、これからすることやお客さんに観て頂くものが面白いかどうかが問題なわけで、僕が続けるかどうかなんてことはクソの役にも立たない些末なことなわけです。
だから僕も僕がやめるかどうか、続けるかどうか、なんてことは、どうだっていいことだと今は思っています。そんなどうでもいいことで悩むよりも、お金を払って観ていただくものが面白いかどうかに命を掛けた方が、はるかに健全です。

じゃーここに、公の場にそういうことを書くなよという話ですが、タイトルが「最近思ったこと。2011年5月」ですから。仕方ないですね。皆さんも時間を無駄にしたと思って諦めて下さい。

おっと、気がつけばあと一週間でブログも6周年です。今後ともよろしくお願いします。

Previously