夢のためかと言われれば。

どうも、須貝です。

いよいよ日付変わって明日、ブログ6周年を迎えます。続いたねー。文章を書くことと演劇をすること以外で何か一つのことを続けられた記憶、これ以外にないっすね。やっぱ十年二十年個人で一つのことをやり続けるって大事ですよ。頑張って続けよっと。

さて、ついこの間、東京で演技レッスンを受ける息子さんの付き添いで仙台から毎週通っているという方とお話をする機会を得ました。立ち話、雑談のようなものだったんですが、とても刺激的でした。息子さんのお歳は十五歳、中学を卒業して高校へ進学せず、バイトをしながら役者を志す道を選んだそうです。親元から離れることはまだ流石に出来ぬとのことで通っていらっしゃるそうで。僕はそこまで強い意志を持って演劇を始めた人間ではないので、感心、というか感動しました。凄いバイタリティだ。流れに任せて生きてきたので、とても、羨ましいです。

そのお父さんがまた気さくないい方で、話の流れで僕も役者であるということを言うと、やはり大変なんでしょう、とか、どの辺りでやってらっしゃるんですか、とか、息子さんのことがやはり心配なようで、色々話は尽きませんでした。

そうやってお話する中で、「やはり夢のために頑張ってらっしゃるわけですからね、今大変でも楽しいでしょう」というようなことを言われまして、その場では「はい、そうですね」とお答えしたんですが、後になって思い返してみて、果たして僕は夢のためにやっているのだろうか、と疑問に思ったわけです。

もちろん目標とか最終的にどうなりたいかとかありますけど、夢…かなぁ?と。「夢のために頑張っている」というのが、今の自分にあまりしっくり来ない感じがしました。

今なぜ演劇をやっているかと言われれば理由は二つあって、一つはこれ以上に自分を人間的に成長させるものがないから。もう一つはやらなければいけないから。

この二つ目がよく分からなくて、別に誰かに「やらなきゃダメだよあんた!!」と尻を叩かれているというわけではないんですけど、どうも、やらなければならないからやっているような、これをやる責任があって、それを果たすためにやっているような、そんな気がするわけで、そうなると夢ってちょっとまた違ってくる気がします。

だって僕の夢、山形に劇場を作るとか黒澤賞を作るとか地元に家を持つとか芥川賞を獲るとかそんなんばっかりで、微妙に役者と関係があるようなないようななんですよね。今の自分の頑張りの方向性や内容のことを考えると、夢のためにという言葉で片付けてしまうのがなんか癪に障る。個人の夢のためにこんなに頑張らんわ、という気もする(そんなに頑張ってませんけど)。

やっぱり今まで色んな人に迷惑を掛けたり、期待をしていただいたりしているので、今ここでやめてしまうのがなんか義理的に、人間関係における生理的に嫌、ってのが大きいんでしょうね。ちゃんと成功しないと申し訳ないというか。なんかこの前の記事で言っていたことと全然違いますね。ほんと、僕の発言なんて適当ですよ。

もちろん、自分が楽しいからやっているという面もたくさんありますけどね。でも「楽しい」だけでは、十年も続けられないと僕は思うんです。僕がそうなだけかもしれませんけど。僕が楽しいという理由だけで続けているのは文章を書くことだけです。それ以外のことにはやはりある程度の、責任が生じてきています。長く続けたから。

あ、でもアカデミー賞を獲るという夢もありましたっけ。じゃあ夢のために頑張っていると言えるのかな。まぁ自分がやっていることに変に動機を付けようとするとパフォーマンスの意味や内容が歪んできちゃいますからね。やめとこうっと。無心が一番。

夢の話繋がりで、夜見る夢、今まで自分が見て面白くて印象に残っているものや、人が見た夢の話なんかにまつわる短編をいくつか書いてみようと、最近のテーマを設定しています。これは戯曲ではなくて小説を書いているんですが、夢を舞台に乗せるってなかなか難しいことだと思うので、今度チャレンジしてみたいですね。

こういう道を選んでしまったので、晒して晒して使い捨て、それでも擦り切れぬ自分を磨いてゆき、いつかちゃんと、揺るがない自分になりたいと思います。自分を勿体ないと思わぬようにしたいです。どうせ何やっても好悪どちらかに評価されるわけですから。いちいち気にしていらりゃあしませんがな。

このブログはその時その時の未熟な自分の、恥、失敗の記録として、ずっと残していきたいと思っています。

読んで下さっている方には失礼な話ですが。反面教師にして下さい。

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