夏の元気。

どうも、須貝です。

つい先ほど、書きあぐねていたmonophonic orchestraの最後の一篇を書き終えました。こちらは三人芝居です。
正確には山形公演用にこの話の五人芝居用の脚本も書かなければいけないのですが、とりあえず。

最近の自分の気持ちをどう言い表していいか分かりませんが、もう少し自分を信用できたら、或いは信用できるレベルの自分だったらどんなにか生きやすかろうと思うことが多々あって、あまり気持ちとしてはアッパーな方ではないのかなと、思います。

僕は役者なので、舞台上にいる時の自分を最低限信じられればそれでいいかと思っているのですが、何かを書く、作る、作業を日常の中で行うと、どうしてもそこが足枷になってしまいます。役者をやっている時も、稽古の時はそことの闘いでしかなかったり、でもそんなことに時間は使いたくないし、でも時間を使わないと解決出来ないし、という状態を、いつになっても脱することが出来ません。

自分が出来るはずのことに対して理想がどんどん高くなっているのは、つまりは成長しているからだとプラスに考えられますけど、レベルが上がると今まで見えなかったレベルのものが見えてくるので、結局そのレベルに達しない自分をさらに思い知るという感じ。そう考えるとスポーツ選手とか作家とか画家とか、なんでもいいけどトップでやっている人もきっと自分のレベルに納得はしていないんだろうなぁと思います。スポーツ選手は納得したら引退するのかなとも、思います。

昨年2月にモノフォニをやった時は初日までの1週間くらいあまり眠れなかったのを思い出します。自分としては面白いと思っているこの作品を世間の人にどう思われるのかと、不安で仕方がありませんでした。世の作家さんはもう、皆偉いと、作品を作って世に出しているという段階で充分立派だと、思いました。

あれ以降、役者として舞台に上がる時の責任感の持ち方が変わった気がします。それまでの自分が、「俺が書いたんじゃない」ということに如何に甘えていたか、作品を成立させることにどれだけ責任を持っていなかったか、思い知りました。逃げ道をたくさん用意して、言葉で誰かを説得したり、誰かを槍玉に挙げたり、何かを理由にしたり、口にせずとも心の中で思っていたり、そんな薄い生き方をするために役者になったんではなかったはずなのに、長く続ける内に大切なことをないがしろに、逃げてはいけない部分を麻痺させて長く続けられるようにしていたのだと、痛感しました。

恥ずかしくなりました。

僕の書くものが面白いかどうかは正直よく分かりません。
自分はわりと客観的な人間だと思っていましたが、今ではその自信もありません。
自己満足で終わらせたくはありませんが、自分の満足のためにやっている部分は否めないので、やっぱりなんとも言えません。
それらは僕の書いたものですが、そういう意味では、それらに対する皆さんの感想に、僕は関わってはいけないような気もします。だって僕は面白いと思ってますからねー。その時点でなんかね、同じ土俵にはどうしても立てないなー。

でも、僕は面白いと思うんだよなーに尽きてしまうんですよね。

それをそこで終わらせないのが職業作家なんでしょうが、僕はまだ僕のことがよく分かっていません。26年も生きたのに、僕はまだ何も出来ていません。何をしていたんでしょうかね。フフ。

涙が出るほど痛烈に、なぜ自分がこんなにも何も出来ないのだろうと、無力だなぁと感じますが、かと言って何もしないでただショックに身を委ねていられるほど、おとなしくもない。

心も体も元気よく、生きていきたいですねー。ここ数日妙に涼しくて、もしかしてもう夏終わりなの?なんて縮み上がっていますが、なんのその、これから夏本番ですからね。ほんと、元気よく。元気があれば何でも出来るって、ありゃいいこと言ったねあの人は。

僕が今していることは、ちゃんとどこかに向かっているのだろうか。
僕が今していることは、無駄にはなっていないだろうか。
僕は駄目になっていやしないだろうか。
僕はちゃんと周りのためになっているのだろうか。

それを一つずつ、少しずつでも怠らずに証明していきたいと思っています。

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