どうも、須貝です。
このブログでもよく書いていますしTwitterでもよく呟いていますし日常的によく言っていますが、演劇ほど勝ち負けの残酷に出るものはないと思っています。
な、の、で、本番近くなると「勝ちてー!!」とよく叫んでおりますが(楽屋前などで)、勝ちたいんですよ基本的に。
で、それに対してよく言われるのですが、「演劇は勝ち負けじゃない」とか「勝ちにばかりこだわるのはよくない」とかいったことですね。
前者に関しては捉え方の問題で、それも一つの意見として正しいと思います。
が、後者に関しては少々誤解されているような気がするので、少しその話を。
僕が勝ち負けの話をし、勝ちたい勝ちたいと言っているのは、最終的に勝ち負けから離れるためです。
演劇もお金をいただき、技術が存在し、評価がある以上やはり優劣が存在して、劣するよりは優れたいと思うのは人情、その気持ちを押し殺すことはなかなか出来ません。
向上心を持たねばモチベーションは保てませんし。そういう意味で勝ち負けに拘るのは良いことだと僕は思っています。
ただ、演劇という芸能の特殊さとして、誰かと共有、協調することで出来上がるものである以上、勝ち負けを第一の問題に挙げると、何かおかしなことになってしまいます。
これは信条の問題ですが、最優先されるべきは個々の完成度より作品の完成度、つまり「あの役者さん良かったよね」で終わる公演は失敗であり、「あの作品は最高に面白かった」が先に来るのが成功だと思うのです。個々の評価は次いで訪れれば良くて。
もちろん良い作品というのは総じて個々の完成度も高いんですけどね。
お客さんを負かしてやろう、という役者の意識も心意気としては嫌いじゃありませんが、やはりこれを観ている人の空気も共に作品に反映される以上、この人たちに勝とうとすると何かそこに違和感が生じてしまう。
ある一定のレベルを超えるならば、どうしても勝ち負けを離れなければならなくなってくると思うんです。
なら最初から勝ち負けを気にしなければいいじゃないかと言われそうですが、それがなかなか難しいんです。
役者なんてのは自我の塊ですから、「俺は勝たなくてもいい」なんて初っ端から言っていてもいつかどこかの段階で「自分」が頭をもたげて来、それが例えば本番中などに不意に影響してきたりする。
「勝たなくてもいい」という意識がそのままモチベーションに影響して、結局最後までノリきれず、不完全燃焼のまま終わってしまう可能性もある。
ならばとにかく最初から素直に勝ちたいと強く思い続けた方がいいのではないか。考え疲れて勝ちたいと思うことをやめるまで、全体のことが見えてきて、勝つということの意味が変わって来るまで、それまでひたすら勝ちたいと思い続ければいいのではないか。そんな風に考えています。
僕がことあるごとに引き合いに出す『バガボンド』でも、「斬って斬って斬りまくる時代があったはずだ」と武蔵が言っているのは、これに近いことなんじゃないだろうかと勝手に思っています。全然違ったりして。
これはまたちょっと違う話なのですが、1作目がヒットして2作目辺りで好きなことを出来るようになった監督の作品があまり面白くないということがよくありますよね。自分のやりたいことというやつを全部詰め込むというのもあまりよくないことなのかもしれません。
箱庭ひろさんに聞いた言葉でなるほどと思ったんですが、「自分がやりたいこと半分、作品の要求すること半分」というバランスが、いいようです。
そう考えると役者という職業も作家という職業も人目に晒し続ける限り決して満足出来ない仕事のような気もしますが、そこは視点をどこに持って行くかの問題で、僕は今まで充分に満足した公演がいくつもあります。まだまだ欲しいですけどね。
今日は不意に勝ち負けの話をしてみました。来月の箱庭に向けて、今はまだ「勝ちてぇ」、でございます。