火星での生活・13

こ、これはマズイ…

明らかに重体の田所さん。泡をブクブク吹いている。今、下で控えている救急車は、田所さんのために仕事をしてもらった方が良さそうだ。
下にいる人たちになんとかして伝えなければ…野口を救出するのとどっちを優先したらいいんだろう?そう思って僕は野口の方に目をやった。

…あれ?野口がいない?

田所さんの強烈なタックルで、確かにオーバーハング気味に反ってしまってはいたが、屋上とその向こう側の中空を仕切るライトグリーンのフェンスはさっきまで確実にそこにあったのだ。
が、今はそれがない。衝撃の戦死を遂げた(確認してはいないが)田所さんに気を取られている間に、何が起こったのだろう?
フェンスのあったであろう幅1.5メートル、高さ3メートル程の空間が、ぽっかりと空いていて、空に向かう入り口のような様相を呈している。

考えられる可能性はただ一つ、外れたのだ。

だとしたら僕達の努力空しく、野口は地面に落ちたのか?僕は急いでそのフェンスがあったはずの空間へ走り、恐る恐る下を覗いてみる。

フェンスは外れてはいなかった。
辛うじて土台の部分で繋がっている。両脇のフェンスとの繋がりを失ったその網目状のフェンスは、屋上の下へと垂れ下がり、三階の窓を覆うような形になっている。野口は必死の形相でそれに捕まっていた。上から見るとカエルのようである。これではあと五分ももちそうにない。

「の、野口君?」
「……」
「大丈夫?」
「(大丈夫なわけないじゃないか…)」
「え?」
「だいじょうぶなわけないだろ!うわぁ!」

あぁ!危ない!

「大きな声出させないでくれよ…!」

いや、別にそれは頼んでないよ…

「今はしご車がそっちに行くよ」
「も、もう耐えられないよ…上田君、こっち来て僕をがっしと掴んでくれよ…」

がっしって…パッと見ればいかにその擬音が僕に似合わないか分かりそうなもんじゃないか…

「そっちにたって、そしたら僕もフェンスに捕まりながら下っていくってこと?」
「当たり前じゃないか!君の手は今の僕に届くほど長いのか!?ダルシムか!?」

いちいちうるさいなぁ…いっそ死んじゃえばいいのに。
僕と野口の間には、僕が屋上にいるままでは明らかに届きそうもない隔たりがある。やはり下りるしかないのか…でもこんな奴のために自分の命まで危険に晒すのは正直嫌だ。願い下げだ。

「……僕は、自分が本当にずっと、火星人なんだと思ってたんだ」
「…は?」
「僕は火星人で、だから他の人とも違って、だから皆からいじめられるんだと思ってたんだ」
「えぇ!?何急に語り出しちゃってるの??」
「だって君、僕を助ける気なんてないだろ?」

う…確かにその通りだ。

「いや、違うんだ、全然君を責める気とかないし、むしろ自殺するつもりだったんだから助けてもらおうなんておかしな話だよ。だから、別にいいんだ。でも、最後の言葉くらい言わせてくれ」
「よくなんかないよ!もうすぐはしご車が…」
「もうすぐっていつだよ!下の奴らだってピーピー言ってるだけで何もしに来ないじゃないか!」
「……。」
「…僕はそう思って、そう思ってさ、少しだけ楽になってたんだ。だからさっきまで、火星人なんだから、死ぬことなんて全然平気だと思ってた」

え?火星人だって死ぬのは嫌だったりすると思うけど…

「バカみたいに信じちゃってさ、火星人は高い知能を持っててさ、死ぬことを恐れたりしなくて、生き返らせる技術があって、でもそんな事関係なく死ぬことを怖がったりしない、高尚な人たちなんだ。凄いんだ。普通の人間とは違うんだ」
「支離滅裂だよ…」
「僕は皆とは違うんだ、だから皆僕をいじめるんだけど、僕がいなくなったら、その存在の大きさに改めて気づくんだ。そう思ってた」

例え嘘でも同意は出来ない。

「いざとなったら皆が僕を助けてくれると思ってたんだ。皆、いざとなったら僕を助けてくれたり、奇跡みたいな事が起こったり、マンガみたいに何もかもうまくいったり、特別な能力を授かったり…」
「野口君、動いたら危ないよ!」
「何も起こらないじゃないか!!」

野口の叫びが空中にこだました。騒がしかった校庭も、一瞬しんと静まる。
気付けば校庭は登校して来た生徒達でごった返している。もうそんな時間か…視界の端に、はしご車が到着したのが見えた。生徒達の壁に阻まれて、上手く進むことが出来ない。

「何も起こらないじゃないかぁあ!!」
「……野口」
「バカにしてるのかぁ!!なんなんだよ、これは!僕がやめようと思ったらやめることの出来る命ってなんなんだ!」
「……。」
「しかも一番腹立たしいのは、僕が誰よりも普通の人間だってことだ!さっきまで僕は本気で上田君に助けてもらう気でいたんだ!火星人はそんなことしないんだ!高尚なんだ!」
「野口!落ち着けって!」
「何も…何も起こらないじゃないか…」

野口は泣き出した。相変らずカエルみたいな格好で固まったまま、静かに泣いている。もうあと何分も捕まっていることは出来ないだろう。はしご車がようやくはしごを伸ばし始めた。

野口に同情したのではない。感動したのでもない。ただ無性に、腹が立ってきた。…なんだこれは。誰かが僕らをバカにしている。

「頼むから動かないでね。揺れると怖いから」
「……上田君?」

僕は屋上のコンクリートのへりに手をかけると、フェンスの網目に足をかけた。

~つづく~

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