色々雑記、2011年11月。

どうも、須貝です。

ざっと雑記します。

○僕は「小劇場」という言葉が嫌いです。座席数100席に満たぬ小さな劇場で上演される公演やその団体、そこで活動する人々、意味合いは場所を指したり規模を指したり主体を指したり様々ですが、どんな意味合いにしろ、実際規模は小さいにしろ、自分たちが曲がりなりにも命を掛けていることに対して「小さい」と冠すのは腹立たしい。つまらぬ意地だとしても張り通したい。

そうやって最前線と自分たちを勝手に画すからつまらなくなる。僕がやることはどこだろうと変わりはない。ベストを尽くすということに変わりはない。勝手にそういうカテゴリーに押し込められると、そのモチベーションが著しく下がります。だから自分では決して使わないし人に言われてもやんわり受け流します。別に誰かに強制はしませんが、譲れない所です。

○演出家なり脚本家なりが演劇作品を作る上で、自身の持つ情報を役者に対して出し惜しみするというのは本当に意味のないことだと思います。段階が必要な場合もあるので一概には言えませんが、「自分で気付いて欲しい」とか「一つの答えに縛られないで欲しい」とかいった心配はして欲しくない。あるレベルを超えたら、ですが。

彼らが持つ情報や彼らなりの答えを与えられた時、それにどう対処するか、その先に何をするかというのは役者に任されるべき領域だと思います。答えを与えられてただそれに邁進するのもその役者のやり方、とりあえずそれでやってみて足りなければそれ以上を探すというのもその役者のやり方。演出家や脚本家の答え以上のものを提示できるかどうかということは、情報を与えられた上でなければ取り組めないことなので、思ったことや感じたことや決めたことや前もってあることは全て、惜し気なく晒して欲しい。

…などと言いつつ、これは役者の傾向によるので本当に一概には言えません。さすがにそれは察しろよ、という時もいっぱいありますしね。僕なんかいっぱい思われているだろうし。まぁしかしその辺の駆け引きを上手いことするのも演出家の技量かもしれませんが、決めていない、考えていないならば隠さず正直に言って欲しい所ですね。別になければ作っていけばいいんですから。

誤解のないように言っておきますが、別に特定の誰かに向けているわけではなく、ただそう思っただけです。そういう意味では僕は理想的な現場に携わり続けていると思います。

○Birds can fly toward every direction they want, as well we can walk toward every direction we want…can’t we?

○演劇作品は多くの場合、一ヶ月から二ヶ月の時間を掛けて、「どの手段を取ってどの手順を踏めば成功するか」ということを決められた脚本を元に探っていく作業を要するものだと思いますが、これがどういった悪戯か、「どんな手段を取ろうがどんな手順を踏もうが絶対成功する」という瞬間を生み出せることもあります。この瞬間は所謂最強の状態であり、これが全編に渡った作品は最高の作品であると言えると思います。

○現在共演中の神戸アキコさんに借りたガガガSPさんの青春狂時代というアルバムを最近よく家で聴いています。これがまた筆が進む。考えが止まらなくなる。リズムが丁度いいのかしら。朝は最近MGMTのKidsかJusticeのD.A.N.C.EのMVをYouTubeで聴いてから出掛けます。時々Arctic MonkeysのBrianstormを聴くこともあります。このMVがすげーカッコいい。

1つの作品を作る時、大小はあれ少なくとも10以上のアイディアを盛り込む必要があると思います。MVやショートフィルムならばワンアイディアで押し切ることも出来るかもしれませんが、いいMVには大きな1つのアイディアが幹としてあって、そこに小さなアイディアが無数に散りばめられています。

○才能のある人、センスのある人、勘の鋭い人と一緒に仕事をするのはとても楽しい。常に脅かされていたい。凄い人たちと仕事をしたい。触れていたい。ずっと触発され続けていたい。一瞬も退屈したくない。もっともっと。欲が尽きなければいい。

○強く必要を感じた時に舞い込む、それに乗る、素直に従う、そうやって人生を形作っていく。誰かを何かを愛しく掛け替えなく思い、頑なではなく、出来ればそれが流儀であればいいと思い、ただ毎日を感謝するような、いつも僕は真ん中で、どこに寄ることもなく、しかしいつだってどちらも持っていて、安定していながら不安定な、そういうバランスをずっと保っていたい。

○言葉にしない部分の感想で、この世界は最高だ。闘う価値を見出したなら、闘うべきである。

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