勝手に背負った夢の話を少し。

どうも、須貝です。

3月最初の更新です。

今日は稽古最終日でして、終わった後にひろき、しんちゃん、しょうた、ゆうきと渋谷でご飯。ゆういちろうは仕事で不参加で残念。こばけんさんは結婚記念日だからという理由で帰って行ったけど、なんか素敵だな。ご飯食べた所も家みたいなバーでご飯がメチャメチャ美味しくて楽しかった。素敵な時間でした。

帰り、原宿までぶらぶら歩いて行って、僕は東中野経由で自転車で来ていたので、電車で向かいました。東中野(および中野)は上京後8年暮らした馴染み深い街です。そうしたらなんだかふと前に住んでいた家を見たくなって、帰り道を少し変更して線路沿いの道を自転車で走ってみます。

今日は稽古で物語の背景にある関係性や出来事などの話を皆でしたのですが、その影響か、何年か前この同じ道を酷く酔っぱらって自転車で突っ切ったことを思い出しました。

あれは確か箱庭円舞曲を現在休団中の山内さんの送別会の日でした。実家に帰って職に就くという、そのはなむけの会。それも確か渋谷だったような気がする。ずいぶん前のことのように思います。
呑んでいる内に段々悲しく、腹立たしくなってきて、「他にどうでもいい、今すぐやめても差し支えないような役者がたくさんいるのに、なんであなたが実家に帰らなきゃいけないんですか」みたいなことを、叫んでいたような気がする。そう考えたら無性に腹が立ったのでした。
勢いで持ち帰ったビールのピッチャーを、自転車に乗りながら腹立ち紛れにどこだかに放り投げて、ただただ全力疾走して帰って、そのまま不貞寝して後のことは覚えていません。

そんなことを思い出しました。

僕らが住んでいた頃から充分古ぼけていた家は薄暗がりの中に変わらず佇んでいて、ポストには別の人の名前が入っていて、そこはもう僕の場所ではないのになんとも馴染み深い近所の様子は、どう言えばいいか分からない複雑な親しさに溢れていて、ぎゅっと心臓をつかまれたような気持ちになって、逃げるように急いでまた元の道に戻って、もう、多分来ないだろうと思いました。

でも中野はいい街だからなぁ。また住みたいな。

あの家から大学に通って、友達と騒いで怒られて、たくさんの楽しさがあって、隙間風に震えて、苦しみを抱えて乗り越えて、好きな人が出来て、大切な人が出来て、でも別れて、僕は何だって出来る、何にでもなれると本気で思っていて、今でもそれは変わっていない、僕の人生の内で本当に大きな、大切な8年を共に過ごしました。感慨深い。

今日稽古中に夢を諦めること、といったような話に及んだ時に、本当に様々なことが思い出されました。大学時代一緒に演劇をやっていた仲間たちや、同学年の仲間たちや、先輩や後輩や、そういった人たちのことを思い出して、彼らが演劇をやめていったことを思いました。

例えば演劇をやめてその先に進む道がより光に溢れていたとしても、何かを諦める、やめる、中途で投げ出すということ、そこにはなにがしかの大きな感情が存在していたものと思います。熱心であったにしろ片手間であったにしろ、一時でも夢を見てそれを追って、それを捨てた人たちのことを思いました。それが良い悪いではなく、彼らが幸せならそれが絶対的な勝ちだと思うんですが、とにかく思い出されました。

前述の山内さんの送別会の席上で、なぜそんなことを言ったのか、いったい何様の心積もりでそのようなことが言えたのか、よく分かりませんが、僕は、「山内さんの夢を背負っていいですか?」と言ったように覚えています。失礼な男です。若干腹立たしい。

でもそれは、素直な気持ちだった。そう思わないとやりきれなかった。彼が向かっていたもののやり場がなくなることが、たまらなく悲しかった。

多かれ少なかれ、僕は勝手に、今までこの世界、僕がいまだに足を突っ込んでいるこの芸能の世界から去って行った人たちの夢を、背負わずにはいられないんです。勝手に引き継いでいるんです。そうじゃないと、悔しいんです。嫌なんです。

僕が前に出る分、誰かが後ろに下がっている。それはどの世界でもそうで、この世界でだって例外じゃない。だから僕には色々な責任がある。それらに押しつぶされるのはアホらしい話ですが、そのくらいのものは背負っておかないと申し訳が立たない。ような気がするんです。

なーんてね。

でも、あの時、「夢を背負っていいですか?」と宣言しておいて良かった。その後何度も諦めそうになって、そんな時に必ずこの言葉とあの時のことが甦ってきて、僕は、背負ったのだと思い出した。多分僕にとってとても大切なことなのだと思います。

まぁ、人のことよりお前が頑張れよって感じですけどね。えぇえぇ頑張りますよ、言われなくてもね。

僕は僕で勝手に頑張ります。なんでもかんでも原動力にしてね。

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