1年。

どうも、須貝です。

もうすぐ日付が変わり、1年が経とうとしています。
3月11日。

1年前の僕は本番初日を迎える所でした。1年前もお芝居やってたんだな。
地震が起こったのはゲネプロ(本番前の最後の通し稽古。音響や照明、衣装など本番と同じ形で行われます)の直前でした。
とりあえず靴を履いて衣装のまま劇場を出、そんなに長時間外にいるなどとは誰も考えていなかったので、防寒具もほとんど持たずに逃げ出しました。

近所の公園はビジネス街であるその辺りの、方々の建物から避難してきた人たちで溢れていて、皆どこか現実の抜け落ちたような、何が起こっているか分からないふわふわとした顔をしていて、立て続けに起こる余震にも驚くでもなく恐れるでもなく、ただ為すがままになっていたようで、悲鳴を上げる人のほうをかえって胡散臭く思ってしまうような、そんな雰囲気が漂っていました。

共演していた方の職場がその近くで、そちらの固定電話をお借りして実家に連絡を付けようとしましたが繋がらず、その時丁度弟からメールが入って家族全員の無事を知り、その時になってようやく、膝の力が抜け落ちるようになって立てなくなってしまって、その時になってようやく、現実の方が追い付いてきたようでした。

結局その日の公演は中止、僕は幸い自転車で劇場に行っていたのでそのまま帰れましたが、劇場に泊まった方、ホテルに泊まった方、交通機関の麻痺によってやはりそういうこともあったのでした。結局その公演はそのまま中止になってしまいましたが、今年の7月に再公演が決定しています。

あの1日を過ごした人は、どのように過ごしたにしろ、被害が大きかったにしろ何も変わらなかったにしろ、あの日を忘れることは決して出来ないのでしょう。
あの1日を過ごした僕らにはそれぞれあの1日の物語があって、それらが僕らの人生やこの国の歴史に楔のように打ち込まれて、きっと今後も振り返った時に、それを基準に何かを考えるようになるのでしょう。

役者である僕は、あの時の無力感や喪失感をきっと忘れないだろうし、今お客さんを目の前にして通じ合えていることや分かち合えていること、その強力さのようなものを、以前よりもずっと大切に思っているのだろうと、そんな風に思います。

現在公演中の『誇らしげだが、空。』の初日を無事に終えた時、もちろん今公演は7月に再演されるものとは違いますが、同時期、ちょうど1年間というそのタイミング的に、あぁやっと戻ってきた、やっと進むことが出来たと思って、なんだか、家に帰って1人で少し泣いてしまうような、そういう安堵がありました。

やはり意識はしていなくとも、薄れ掛けていたにせよ、僕らは皆、この1年間を何かしらの緊張状態の中で過ごしていたように思います。

1年が過ぎて、新たに始まる1年をどう過ごそう。
やれることもやりたいこともやらなければいけないこともたくさんあって、
その中で何を選んで、
僕はどうなっていくのだろう。

難しいことは僕にはよく分かりませんが、基本的には前と同じ、僕が繋がったあなたになんとか笑っていてもらうために、なんやかんやをなんだかんだしていきたいと思います。
ただ、前よりも幾分かは必死になるだろうし、基準も変わっているだろうけど。

こういう言い方はもしかしたら良くないかもしれないけど、この1年、面白いお芝居が本当に多かった気がする。皆必死に悩んで考えて、逃げなかったのだろう。ありがとう。逃げずにそこにいてくれて。だから僕も頑張る。

やーやーこの1年、お疲れ様でした。ほんとよく頑張った。
今後とも、よろしくね。

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