どーもどーも、どーもどーもで須貝です。
さて、明日から本番です。怒涛の二日間で一気に本番です。言うまい言うまいと思っていながらも言いますが、疲れました。
お芝居だけではありませんが、人って意外と頑丈なんだなぁ、というかしぶといなぁと思う瞬間があります。その逆のことを思うことの方が多いですが、劇場に入って休みなく働いたり動いたりしても、疲れは溜まっているんだろうと思うんですが、ちゃんと生きてます。当然ですが、大事なことです。
普段生活していると、もっと全てがシンプルだといいのになとよく思います。様々な手続きや面倒な人間関係なんて、皆さんももっと単純になればなぁって思うこと、少なくとも一週間に五分くらいはそんな時間が訪れるんじゃないでしょうか。
一つのことに没入している時間を大事に思うのは、簡単になればいいのになぁと思う自分の気持ちのある部分をリフレッシュさせてやるためのような気もします。
「我を忘れる」という境地って本当に何かに没頭していると不意に訪れて、でもそれを自分は「我を忘れて」いるわけだから意識出来ないわけです。でも、自分が役者をやる上で理想なのかもしれないと思う境地って、「我を忘れている自分を意識している」という状態なのかもしれません。そう思うとそれって無理じゃない?と思わないでもないですが、果てのない方が楽しみも多いし。
大体力が有り余っていると余計なことを考え過ぎてよくありませんが、適度に疲れると余計な物も抱いている余裕が無くなっていいのかもしれないなんて思う時もあります。それが今だったり。
とにかく、生きているだけで幸せ、と言えてしまいそうな気がしています。お芝居をしているということも含めですが、今の自分の生き方が、穴だらけではありますが嫌いではありません。いいこと尽くめの毎日だったり、得してばっかりの日々だったりというわけではもちろんないんですが、とにかく。何なんでしょうね。
明日から本番だー、と思っていてもあっという間に時間は過ぎるもので。後から思い直したら二日間くらいにしか思えない、ってくらいになるといいな。
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我を忘れることを意識する、とは少しずれるかもしれないけど、昔みたインタビューで、誰だか忘れたけど、まあ大女優と呼ばれるかたが、同じ様な事を言ってた。
役者の守破離について。歌舞伎でも落語でもなんでもそうだけど、或いは1つの作品を創るにしても、自分の最終的な目標にしても同じ事が言えるけれども、守って破って離れる。
まずは台本の通りにやる、台本を守る、演出の言う事を守る。
次はそれを破る。ここまでは出来る。
そして離れたところから、客席から、演じている自分を見る、離れる。これが難しい。
最後の部分は、なんだか分かったような分からないような、未だによく分かりません。暗黙知というか、身体化された知識なんだろうな。
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今日はご観劇ありがとうございました!
そうやって色々考えていくと、人間って底が無いんじゃないかって気がしてきます。でも底が見えないなんて言っていられる内が華ですよね…。