たくさんの中から、ほんの少しのこと。

 

 

どうも、須貝です。ご無沙汰しております。
約1年ぶりの更新です。皆さんはいかがお過ごしでしたか?僕はといえば忙しく過ごしておりました。
何をやっていたのか、全てではなくとも、一部について。

 

◯デカローグについて

新国立劇場の主催事業、『デカローグⅠ〜Ⅹ』の上演台本を担当させていただきました。
こちらは既に上演が終わってしまっておりますが、ご来場くださった皆さま、誠にありがとうございました。
本当に実りの多い時間を過ごさせていただきました。小川さん、上村さんの演出を間近で見られたのも経験としては大きかったです。しかもただ見るのではなく、仕事をするという形でご一緒できたのは本当に、色んな学びがありました。

翻訳の久山先生とお会いできたのも大きかったように思います。久山先生が通し稽古や本番を観て興奮した様子で満足なさっている姿が印象的でした。嬉しかったです。一つ道を究める格好良さのようなものはやはりあって、久山さんもそうで、そういう大人は素敵なんですよね。そういう大人になりたいな。
人形の家Part2みたいに、デカローグPart2をⅠ〜Ⅹまでやる企画があったら是非脚本を書きたいですね。

 

『漸近線、重なれ』について

なんとなんと、8年ぶりの一色洋平×小沢道成でした。こちらも上演は終わってしまっておりますが、ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。
常々思っているし言葉にもしておりますが、「最新作が最高作」であれと心掛けています。心掛けたとしてもそうなるかどうかは運や時機によるとも思うのですが、でもそうあれと努力しています。いい作品が書けるかどうかは多くの場合、脚本家の才能とは関係ない所にあると僕は思います。少し言葉を足すと、いわゆる興行というものの中で、依頼されて書く脚本の場合は、と言った方が正確かもしれません。自分の劇団で自分のペースで作品を作る時はかなり脚本家の才能や興味関心、問題意識に左右されますね。
依頼されて書く場合、脚本家の作品をより良くする要素というものはいくつかあって、「十分な時間がある」、「企画者や演出家、出演する俳優たちが、同じものを面白いと思っている」、「付き合いが長い」、「出演する俳優たちが好き。どんな役をやってほしいか、どんな台詞を言ってほしいか、自然に浮かんでくる」、「なんでか分からんけど面白い人たちが集まってきてる」、などなど。簡単に言うと「見通しが立っている」ことが大事であり、「何をやっても大丈夫だという心理的な安全性が確保されている」ことに尽きると思うんです。信頼関係と言い換えてもいい。
この企画に関してまず一番大きい要素として、上記の条件が全て揃っている、そして僕が一色洋平と小沢道成という2人のファンであるということが厳然とあるんですね。俳優として、演出家として、尊敬しています。8年経って洋平の芝居は厚みと儚さが増し、色気が漂っていました。みっちーの安定感は相変わらずで、そこに演出家としての経験や知見が加わって、最高の切れ味を持つようになっていました。音楽のオレノグラフィティ君は優しさに場数を加えて最強の様相を呈し、そんな3人に何を見せられるだろうという、楽しく試される現場でした。

演劇の大きな賞というやつがあって、それは出来上がった作品ばかりを評価されて賞が渡されるわけですが、審査員の皆さんは稽古場も見て賞をあげるわけにはいかんだろうかと僕は思うんです(稽古場を見てらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、あまり聞いたことがありません)。怒られるかもしれませんが、声を大にして言いたいんです。往々にして、俳優やスタッフさんが無理矢理なんとかして作品を作っていることもあるんです。なのに賞をもらうのは演出家であるというのは、納得がいかないんです。中には何もしていなかったり、ただ無茶を言ったり、それこそハラスメントにまみれた人もいるわけです。もちろんそうじゃない方もいらっしゃいますが。
みっちーの稽古場を見たら、これを評価しないで何が演出賞か、と思うんです(いや、みっちーは賞もらってますけど)。とてもいい稽古場なんですよ。いつも何かが産まれそうな予感に溢れているんです。皆がそれに寄与し、皆がそれを期待しているんです。僕もそこを目指したい。僕もオレノンもニコニコニヤニヤしながら稽古を見てるんです。その場にいる皆がそうなの。それってすごいことなんですよ。
脚本家も人間ですから、心から楽しめないことには最大のパフォーマンスを発揮できないことが多いんです。それでも最高を出すのがプロなので、そこに関してはなんとも言えないんですけど、まずはどうやって楽しむかを考えなければいけないんです。考える必要もなく楽しい現場やそこにいる人は、掛け値なしに自分の財産だと言えます。

 

『物語ほどうまくはいかない物語』について

こちらは5月の上演でして、3月〜7月にかけて自分の携わった公演が毎月上演されるという異常事態の中で過ごした今年の上半期でしたね。再演で、初演と同様脚本と演出を担わせていただきました。
初演の時から本当に好きな作品で、でも取材が足りずに是非書き直してまたやりたいなと思っていたのですが、今回機会をいただきまして、講談社の河北壮平さんにも取材させていただけて、より強力な作品になったと自負しています。2チームでの公演でしたが、どちらも全然違ってどちらも良くて、演劇ってやっぱ俳優だよなぁ…と感じました。俳優の皆さんとはまたどこかで一緒にやりたいな。初演に続いて照明の富山貴之君と一緒にやれたのも本当に楽しかった。
再演っていいよな、と感じるのは、生きてる内に存分に書き直して、どんどん作品をブラッシュアップできるという利点があるからで、もちろんこの時点で手放していい、完成した、と言える時も多いんですけど、今の自分のベストを過去の自分に対して更新し続けるのもまた豊かです。

 

○執筆サポートについて

今年2月のくちびるの会第8弾『猛獣のくちづけ』に執筆サポートとして携わりました。詳しくは山本タカ君の書いてくれた【こちらの記事】をご参照いただくのが最も分かりやすいと思うので、ここでは多くを語りません。新国立劇場主催の脚本家ワークショップの頃から考えていたことですが、脚本家は結構孤独になりがちといいますか、一人でかなりの重責を担わなければいけないと感じることが多く、その負担を少しでも軽減できればと考えての活動です。タカ君が重宝してくれるので、僕も楽しくお喋りする感覚で毎月のように会っています。
僕を師匠と呼んでくれる劇団フィータルの(ジェシカ)さんの作品にも執筆サポートとして関わらせていただきました。その辺りのことも彼女が書いてくれているので、【そちらの記事】をお読みいただければ幸いです。劇団フィータルさんの第3回公演『真空プール』の執筆に際して、ああだこうだと話しながら一緒に作品作りをさせていただきました。

後述の新作ミュージカル『Irreplaceable』もそうなのですが、最近チームで執筆する機会が増えてきており、自分がメインライターの時にどう振る舞うか、逆にそうじゃない時にどう振る舞うか、といったようなことも最近よく考えています。サポートだからといって自分のクリエイティビティを発揮していないわけではなく、多分発揮の仕方が違うんだと思います。し、メインライターのクリエイティビティを倍化する発想でいなければならないし、阻害してはならんとも思います。
たとえば自分で公演を打ちたいし自分で脚本も書いてみたいけど、どうしたらいいか分からん、という俳優さんの助けにもなれると思いますし、商業的な舞台に初めて書き下ろすといった脚本家さんの助けにもなれると思います。もちろんそのいずれでもなく、単にちょっと意見がほしいという場合にもご相談ください(レスが遅いかもしれないんですけど…)。

 

○『Irreplaceable, A New Musical』について

『デカローグⅥ』の中でニューヨークについて「汚ったない街だった」という台詞を書いたその数ヶ月後に本当にニューヨークに行くことになるとは全く思っていませんでしたが、今年の9月にニューヨークに行って来ました。最初こそ汚い、臭い、うるさいというなかなかの感想でしたけど、最終的にはとても好きな街になりました。何をしに行ったかは【こちらのプレスリリース】でご覧いただくのが一番早いと思いますので、よろしければご一読ください。チェルシーが好きだったなぁ。いい街だった。ホイットニー美術館がめちゃくちゃ良かったです。全人生で最も好きな美術館かもしれない。

このチャンスについては内田靖子さんに本当に感謝していて、彼女がいなければ何も始まらなかったわけです。人生が変わった気がする。多謝。やっちゃんのセッティングで奥田祐さんと出会えたことで、今までぼんやりとしか捉えられていなかったミュージカルというものに色と形が与えられて、自分の作品もミュージカルになるのかぁといまだに実感がない部分もあるのですが、9月に現地のキャストと一緒に作ったダイジェスト版を劇場で観ることで、それを現地のお客様に観ていただくことで、これはどうも本当らしいぞとようやく現実味が生まれてきたのでした。
祐さんのご紹介でさらに岡田あゆみさんがチームに加わり、さらに彩り豊かな我々になったわけですが、日本人がニューヨークで音楽の仕事で食っていくという途方もないことをやってらっしゃるのに、全然そんなこと感じさせない謙虚なあゆみさんには尊敬あるのみ。前述のタカ君とのやり取りもそうですけど、いいチームは雑談が楽しいんですよね。このチームも雑談が本当に色んな所に飛んで面白いです。

そしてあゆみさんの紹介でチームに加わってくれたアダム・マサイアスさん。脚本の師匠という人は僕にはいないのですが、誰かに聞かれたらアダムを師匠と答えようと思っている最近です。教えることも仕事にしているからか、とにかく話が、指摘してくれるポイントと改善案が分かりやすいんですよね。実際にニューヨークで会って話しても、僕は英語のネイティブスピーカーじゃないんですけど、なんとなく言ってることが分かる。演劇という共通言語があるからですね。20代じゃなくて経験を積んだ状態の30代で出会えて本当に良かったと思います。そしてアダムもいい人。僕は人に会う運がすごい。

ニューヨークでとても心地よかったのは、フラットというか、地続きなこと。滞在中、リハーサルや本番以外の時間はほぼ1人で過ごしたんですが、地下鉄も使ったんですけど結構歩いてもいて、しばらく歩く内にいつの間にか街の様子が変わっていくというか。そして人間関係もそうで、MasterでかつFriendみたいなことが普通にあり得ている。あとは人のあり方が結構極端。底なしに優しい人がいたかと思えば、めちゃくちゃ攻撃的な人もいる、みたいな。その辺のグラデーションが東京に比べてビビッドだと感じました。で、その全部をいっしょくたに飲み込んでいる。そういう街だと感じました。

 

○愛媛にも行って来た。

いい加減読むのも疲れて来たんじゃなかろうかと思いますけど、まだまだ続きます。1年ぶりですから。
ニューヨークから帰って1日だけ東京に滞在、その後すぐ愛媛に向かうという強行軍で、そのまま愛媛と高知に1ヶ月滞在して制作しました。頭おかしい。
演劇仲間というか友人の森田祐吏さんのお誘いで、祐吏さんと岩渕敏司さんのユニット、イワントモリの第二回公演『明日のハナコ』を演出させていただきました。地方で演劇をやるんだという敏司さんの理念にも共感したし、作品自体からも学ぶことが多く、自身の無知を思い知らされました。自分の住む国の非常に大事な問題について何も知らないなと恥ずかしくなり、この仕事をしていなければ目を向けることもなかったかもしれない、それはある意味幸運だったのかもしれないとも感じました。作者の玉村徹さんとお会いしてお話できたのも非常に重要な経験でした。穏やかで柔らかい態度や話し方の向こう側に、どうしようもない怒りと熱を内包されている方だった。
この愛媛の滞在はたくさんの出会いをもたらしてくれて、特に舞台監督の大瀬戸正宗君、照明の西山和宏さん、音響の高橋克司さん、そしてイワントモリのメンバーかのごとく奔走してくれた制作の愛洲恵さん、そういった心強いスタッフチームとの出会いが、この滞在をかけがえのないものにしてくれたと感じます。音楽の山本太郎さん、舞台装置を作ってくださった森俊さんとの出会いも得がたいものでした。そして東温市民劇団の皆さん。また何か一緒にやりたいですねぇ。

高知の滞在では正宗君と同部屋だったんですが、お互い仕事があるのに3〜4時くらいまで雑談が止まらなかったのが印象深いですね。演劇の話はいつまでもしちゃうんだよな。彼の生き方に学ぶことが多くて、東京にいるだけじゃこんな経験はできんかったよなぁと感慨深くなりました。
愛媛では主に祐吏さんと同じ部屋で生活してたんですけど、それも楽しかったですね。毎日温泉に入りに行きました。公演後は東京まで車で帰ったんですが、あれもいい思い出。二人とも眠過ぎて、全部のサービスエリアに寄って休憩してましたね。
愛媛、本当にいい所なので、また行きたいです。できれば演劇の仕事で行きたいな。めぐさんに送ってもらった紅まどんなが衝撃のおいしさだったので、皆さんも是非。内子も良かったなぁ。

 

○『CITY』について

さぁ、ついに直近の出来事です。クモラス第一回公演『CITY』について話をさせていただきます。
まず、この公演は2024年12月21日(土)に初日を迎え、28日(土)に終演する予定でしたが、体調不良者が相次いだために来年春頃に延期させていただくこととなりました。チケットをお買い上げいただいていた皆さま、予定を空けてくださっていた皆さま、誠に申し訳ありません。詳しい経緯や払い戻しの方法などは下記のページからご確認ください。

https://yurerugallery.stores.jp/news

クモラスは僕と俳優の林田航平君、渋谷謙人君、3人のユニットです。航平君とは『ビショップ・マーダー・ケース』でご一緒したのが最初、謙人君とは『デカローグⅤ』でご一緒して稽古場で話したのが最初でした。3人で飲もうよ!という流れになり、飲んだり一緒に能を観に行ったりみたいなこともあり、そこへサンシャインシティソラリウムさんからのご提案もあって公演を打つことになったのでした。航平君と謙人君は既に2人で公演を打っていたので、2人のユニットに僕が加わったイメージでした。

先述の「最新作が最高作」という言葉で言うと、この作品が最新作なわけです。そして最高作なんです。とてもいい脚本だと僕は思っています。稽古場でも演出家の僕が驚きっぱなしでした。「ここでこれ来る!?」とか「うわ、ここの台詞すご…」とか。そんなことの繰り返し。これも先述の『物語ほどうまくはいかない物語』でも、初演の時は脚本家の技量に演出家の技量が追いついていなくて、今回ようやく演出できたという印象で。この作品に関しても演出家の技量を試されていると感じます。イワントモリでの演出の経験がなければ途方に暮れていたかもしれない。自分がやることがちゃんと自分を育てているのだという気づきがあります。

当然、体調不良者が出たとしても、そのまま公演をやる選択肢もあったんです。短い稽古期間になったとしても俳優たちはきっとベストを尽くしてくれただろうし、スタッフ陣もそこに向かって作品を支えてくれたと思う。でも、なんです。以前自分がCOVID-19の渦中に公演を打とうとし、しかし感染が拡大した時にそれなりに早い段階で公演を中止にしたことがあるのですが(その時は翌年、企画の形を変えて上演できました)、その際に出したコメントの一部を引用させていただきます。基本的にはこの考えで、今回も延期を決定しました。

どこでも観られる、いつでも観られる、完成したものを観られる、という意味では、演劇は映像作品に勝てないと僕は思います。同業者の中でも様々な意見があるので、あくまで僕個人の意見です。
僕にとって演劇は、何日も前から予定に組み込んで(もちろん直前に思い立ってもいい。それも楽しい)、その日一日が「観劇」という言葉に左右され、わざわざその場所に赴き、時間ぴったりに始まったり終わったりする保証もなく、そのステージによってどんなことが起こるか分からず常に不安定で、目の前に生の人間がいてその息遣いがあって、だからこそウキウキワクワクドキドキしながら瞬間瞬間の全てを劇場内の全員と分かち合うものです。劇場とは何が起こるか分からない、最高に最先端な場所です。二時間後に誰かの人生が変わっているかもしれない。そういう場所なんです。
でもその「不確定」は当然、絶対な「安全」の下に推進されなければならない。そこを履き違えてはならない。絶対にならない。絶対に絶対にならないんです。劇場は、健康を害する可能性に怯えながら訪れる場所ではない。胸を踊らせながら足を運ぶ場所です。不安定を楽しむ場であって、不安に襲われる場所ではない。
だから、今はやりません。いつかやります。楽しみに待っていてください。

自分は自分のことを主宰者としてある程度評価しているのですが、それは面白い作品をやるとかものすごい売り上げを上げるとか、そういうこととはちょっと違う所にポイントがあります(当然それも目指していますけど)。「赤字を出さない」・「引き際を間違えない」・「人を大事にする」、この3点において、ある程度評価しています。「ある程度」というのはつまり、できないこともあるからで、でもそこに向かって努力している点は評価していいと思う。

引き際が非常に難しいんです。これが一番難しいと思う。YouTubeで山で遭難したエピソードをまとめた系の動画をよく観るんですけど、山で遭難して助からないパターンというものがいくつかあって、「登山計画書を出していない」、「地図やコンパスを持っていない」、「下調べしていない」、「装備が足りない」、「無茶なスケジュール」、「出発が遅い」、「明日仕事だからといった理由で無理に山を下りようとする」、「天気が荒れても引き返さない」、などなど。大きく二つに分けると「事前準備」と「登山をやめる決断の速さ」が重要であるらしい。これはかなり演劇の興行に近いものであると個人的には思っています。

どっちにしろ誰かのことは傷つけてしまうんです。今回だって遠方からご予約いただいて、全ステージ観てくださるという方もいらっしゃったんです。その方には本当に申し訳ないです。損害を与えてしまいました。ご予約くださった全ての方に関して同じことが言えます。また、払い戻しなどの処理をしてくださるスタッフさんにも申し訳ないです。本来であれば必要のない作業をさせてしまいました。ソラリウムさんにとっても初めての演劇公演ですから、その出だしを狂わせてしまったという気持ちもあります。
同時に、俳優を守るのが演出家の仕事であるとも思います。このまま公演を断行したら、誰かしらの心身が傷つくのではないかと思いました。無理を押して稽古して疲弊する、自分のせいで負担をかけてしまっているというプレッシャーを感じる、そういうことが起こるかもしれない。クオリティも最高のものをご提供できないかもしれない。もっと時間があればという思いが過ぎりながら千秋楽を迎えるかもしれない。病み上がりの俳優が客席と距離の近い劇場で演技することで、お客様の中に感染者が出てしまうかもしれない。
脚本家としては、このいい脚本をちゃんとやりたい、満足いく形でやらないともったいない。そういう気持ちもありました。COVID-19の世界的感染拡大を経て、公演が中止や延期になるということに、お客様も寛容になってくださっている感覚もありました(気のせいかもしれないし、そこに甘えてもいけないのですが)。

この判断が正しかったかどうかは検証しようがないかもしれないんですが、この判断が正しかったと、僕らだけでなくお客様にも思っていただけるように、来年の延期公演を最高のものにしたいです。どうかお楽しみにお待ちくださいませ。

 

◯たくさんの中から、ほんの少しのこと。

今年の11月で40歳になりました。母は2022年に65歳で亡くなったので、僕もあと25年ほどでこの世を去ることになるかもしれない、と最近よく考えます。父は元気に生きており、68歳になります。二人の平均年齢が僕の予測される寿命という考え方もできるので、父にはいつまでも元気に生きていてほしいものですが(そんな自分本位の考えだけでなく、ずっと元気でいてほしいのですけど)、とにもかくにも人生は、とっくの昔に折り返してしまっていたようです。

前にも【ブログ】で書かせていただきましたが、僕は33歳の時にちょっとした病気をやっておりまして、もしも悪性のものであれば死んでいただろうという類のものでした。ですから、33歳で一度死んだのだと思いながらこれまで生きてきました。7年もおまけの時間を生きさせていただいたことになります。そして今母が亡くなって、人の死に様に生き様を学ぶといいますか、これからの25年をどう生きようかと、またそんなことを考えていて、もしかしたら明日死んでしまうかもしれないのですが、まあどっちにしろおまけだしなという気持ちもありつつ、たくさんある生き方や生き様や取るべき行動ややるべき仕事の中からほんの少しのことを選び続けながら、自分にできることを探しながら、日々を生きていくのだなということに、今さらながらに感動に近い気持ちを抱きます。

私たちはあまりにもあまりにもたくさんのことから、ほんのほんの少しのことを選びながら生きていきます。奇跡に近い巡り合わせの潮に揉まれ、誰かと隣り合い、触れ合って言葉を交わして時を過ごし、別れ、少し考えてどこへ向かうかを決め、もしかしたらまた誰かと出会い、再び見え、言葉を交わしたり愛し合ったり傷つけ合ったりし、別れ、また出会い、どこかへ出かけて何かを見つけて、でもこの手には全てを携えることはできず、これぞと狙いを定めて手に入れたり、仕方なく諦めて何かを取りこぼしたり、そうやって少しずつ死んでいくことで生を刻みます。当たり前のことを当たり前に語っています。なぜなら何度でも語る価値のある奇跡について話しているからです。狭まっていくことで研ぎ澄まされていくのを感じます。可能性は閉じゆく錯覚を残しながら広がり続けます。できないことの数を数えながら、やるべきことの扉が開いていきます。そして同時に時間は過ぎ、やはり私たちは、たくさんの中からほんの少しを選び続けるしかない。そういうままならなさ、できないことを知ることで得る自由、そういうもののことを考えます。

足るを知る、は、圧倒的な可能性の探究の先にある気がしています。考えうる全てを列挙していくことに似ているような気もします。僕は脚本を書きますが、それは登場するキャラクターと共にあらゆる可能性を愛しながら何かを選び取っていく行為にも思えます。人間を見て人間について考え、人間を眺めて人間を描く。そういうことの積み重ねに思えます。その営みの全てを、愛という感情に近いもので親しんでいる気がします。

私たちは不自由で愚かで狭量で、鳴き声よりもほんの少し音数が多く整理された響きを操るだけの無様な獣です。でもそれでいいと思います。俳優をやっていた時に考えていたことですが、ジャンプが大きければ大きいほどエネルギーが高くなる。たとえば自分と違う役を演じようとする時に、自分と役の間を飛び越えるジャンプの大きさがそのまま、作品を推進するエネルギーになると考えていました。脚本家としても似た考えを持っていて、俳優もキャラクターも一種の越境者であると感じます。そのエネルギーで観客の皆さまを今いるこことはどこか違う未知の世界へとお連れする。劇場を出た瞬間の街が今まで触れていた場所とは全く異質の何かになったように感じていただく。そういうことに時間や生命を費やしている気がします。

たくさんの中から、ほんの少しのこと。今までを思います。選ばなかった可能性すら自分を形作っています。たとえ取り戻すことができなかったとしても、選ばなかった、選べなかった、その事実があるだけで、過ぎ去った可能性は決して遠くなったりはしない。今を選んだ僕らをずっと友人のように眺めている。その視線を確かに感じます。

 

 

 

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