人に出会う運。


どうも、須貝です。

6日に無事柿喰う客の公演を終えまして、今日は打ち上げ明けのひと段落でありました。十時間くらい寝たい、と思っている今現在です。

その公演にも関連して少しだけ、感傷的なことを話させていただきます。

僕は一応、俳優として身を立てていきたいと考えていますが、公演を終える度に、稽古の度に、自分には一体才能があるのかどうかといったことを、どうしても思ってしまいます。

自信なぞ失えばキリがないのですが、そういう話でもなく、魅力だとか才能だとか、自分の役者としての目で見た時に羨ましいなと思う人はたくさんいるわけで、そんな時自分は一体何で勝負しているんだと、白刃舞う合戦場で一人手ぶらでいるような不安を感じるのです。

それを補うためにはまず技術を上げねば、読解力や表現力の精度を上げなければ、ということを考えるのですが、いつだって誰かに妬みに似た気持ちを抱いています。

物を書く、ということに関してはさらにそれが酷くて、自分にはまず物を書くことに関しての才能がないらしいということにこの二十三年間で何となく気付いてしまって、それでも書きたいと思っている自分がいるわけです。無惨です。

そうやってうじうじと暗いことを考えていると、あらゆる点で自分には何の能力もないような気がしてくるのです。

能力の話は置いておいて、自分に誇れるものがあるとしたら、人と出会う運は相当にあるらしいです。

柿のれお君とも話していたのですが、今は人と出会う時期というか、そういう運が良く巡って来ているというか。さらに言えばそういう人に出会う運といったようなものは、僕は上京してきてからずっとコンスタントにあるような気がして(嫌いな人が全然いないって訳ではもちろんないですけど)、それに助けられているような気がします。

助けられているんだよなぁ、と思い、お芝居という世界では、それがとても大事なことなのだなとも思うのです。

両親に出会えたことや、兄弟たちに出会えたこと、幼い時からの友達、僕の人生に関わってくれた全ての人たちのおかげで自分が形成されて、自分の生活があって。

人に出会う運がなかったら、今こうやって好きなことをしていられなかったかもしれません。

もらい物は一つで十分、後は自分で責任を持つべきだ、と考えました。

同じようなことは前にもこのブログで書いたような気がしますが、公演が終わる度に同じようなことを改めて痛感します。
その痛感の中で、成長していけたらな、と思います。

今はいつもの公演後とは違って、早く稽古がしたい、色んなことに挑戦したい、という気持ちになっています。

まとまらない話でしたけど、そんな風に思っているのでした。

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