フランス旅行記・その6


どうも、須貝です。

凱旋門を後にした僕らは、その日の夕方TGVに乗るための再集合まで二手に分かれて観光することに。

僕とれお君、たけさん、そして清水の四人はれお君の提案でオランジュリー美術館へ。ここはモネの「睡蓮」で非常に有名な美術館です。この美術館、僕は女王だったか皇后だったかの愛称を名付けられた美術館だと勘違いしていたんですが、元々はテュイルリー宮殿のオレンジ温室だったんですね。それでオランジュリー。全然勘違いしていました。

ここはずっと改装中だったんですけど、2006年に今の美術館として新装開店。モネの「睡蓮」の展示室が、天井から自然光を取り入れる設計になり、時間の推移と共に違った表情を見ることが出来るようになりました(と言ってもその前を知りませんが)。

オランジュリー美術館は、ルーブル美術館やオルセー美術館なんかの巨大さに比べるととても小さくてこじんまりとした美術館です。入場料は4.5ユーロととってもお得。18歳から25歳までは割引の対象なんだそうです。マジいい国だわ、フランス。後で知ったんですけど、行列が出来て入れないこともあるそうなので(個人の観覧客は午後からしか入れないんだって。知らなかった…)、割りとすぐに入れた僕らはラッキーだったんですね。

美術館、というイメージよりもずっと近代的な印象を抱かせる灰色の館内、ここにあの睡蓮があるのか、とはちょっとイメージしにくい感じですが、地下へ降りていくと、早速お目当ての展示室が。

大きく湾曲した展示室内の壁、その全面をほぼ覆う形で、モネの「睡蓮」は展示されています。深く、吸い込まれるような青。楕円形、ドーム状に近い展示室内の両脇と入り口の側に、三つの絵が展示されており、その続きの間も同じような構造の展示室で、ここにもまた表情の違う睡蓮の絵が。

まず一つ目の部屋。そこにあるのは平面のはずなのに、不安になるくらい、濃い藍色。そこに本物があるという存在感。モネの生命の乗っかった大作です。近付き、時に遠くから眺めて、じっくりこの絵と対話します。大きな青い全体に、鮮やかな睡蓮の花がジグザグに配されています。心のままに動かしたような豪快な筆致で、ほとんど抽象画ですが、少し離れた所から全体を観ると、自分が大きな湖面に向かい合っているような不思議な錯覚を覚えます。

モネの作品は、晩年に向かうに連れてどんどん輪郭を失っていきました。それは白内障を患っていたために視力をほとんど失っていた、ということもあるのかもしれませんが、僕は、何だかモネ自身が自分の感性に対してどんどん正直になって行ったというか、自由になったというか、この大きな睡蓮の絵を見ていると、黙々とキャンバスに向かって筆を動かしている、ただただ絵の好きなガンコ親父が見えてくるのです。

モネは、物凄い数の睡蓮の絵を残しています。日本にもたくさんありますよね。移ろい行く光を描く画家だったモネは、同じモチーフの絵を何枚も戸外で描いているんです。日傘の女性の絵も実はたくさんあります。しかし、このオランジュリー美術館に展示された睡蓮は、モネが最期まで筆を加え続けた絵(この絵を描くために、彼は白内障の手術を決意したと言います)。モネ本人がこの絵を国に寄贈したんですけど、あまり満足しなかったらしくて、一時は寄贈するのを辞めようとしたほどだったそうな。そういう意味で、特別な睡蓮だと思います。

隣の部屋には、水面にかかる柳の木が描きこまれた睡蓮の絵が。これもまたオツですね。色んな角度から眺めてみます。意外と真横、ちょっと下から観てみると、面白かったですよ。

一日中、この絵と向き合ってぼうっとしていたい、そんな絵です。しかし、限られているのが時間というもの。後ろ髪引かれながら次の展示へ。と、言うか、「睡蓮」にあまりにも気を取られ過ぎて他の絵をほとんどざっと観しか出来なかったんですけど、いい絵がいっぱいありましたよ。ルノワールとかモディリアーニとかマティスとかユトリロとか。ヨーロッパ風な食堂に飾ったら素敵そうな絵たちでしたね。

で、本っ当に後ろ髪を引かれ(引っ掴まれ)ながらもオランジュリーを後にし、ルーブル目指してお散歩です。とは言え、時間が無いので今回は外から見るだけ。ちゃんと観ようと思ったら一週間は優にかかりますからね。

美術館に向かう道は、歩いているだけで大きな美術館の中を歩いているような気分になります。コンコルド広場の有名なオベリスク、シャルル・ド・ゴール像や、テュイルリー公園の彫像たち。ルーブルの建物自体壮大ですからね。美の都、パリ。

…てな風に浸っていたら、やはり集合時間に遅刻してしまいました。ごめんなさい。と、言いつつ、もう一方のチームも遅刻。本当に、自由人の集いですね…。

~つづく~

Previously