東京寒々。


どうも、須貝です。

寒いですね。こんなに冬って寒かったっけな?それとも築四十七年の我が家がもう本当に限界を迎えつつあるのかな。どこからともなく隙間風。

寒いくせに、というと変ですが、毎日天気がいいです。太平洋側の典型的なお天気ですね。東北人の僕からしたら、「寒い=雪が降る」なのでやはり変な感じがします。つってももう七年目の東京。

毎日自転車で通う道に黄金色の銀杏が降り積もっております。空の青に映えとても綺麗。街行く人の足並みは年末に向かっているよう、少し足早。僕は相変わらず暇さえあれば自分の公演について考えています。

今日不意に思ったことですが、人間という生き物は基本的には理解し合えないものです。例えば同じ職種にあったとしても、理解し合えないものです。

役者と一口に言っても大事なことや許せないことや当たり前のことがそれぞれ違ったり、関わり方が違ったりする。同じことをしている人の間でもそうなんだから、お芝居などとはまるで関係なく生きている人とは、僕は理解し合う自信がありません。

僕の顔を見る度に「早くテレビに出れるといいな」と言った職場の社員さんは、悪気はないんだろうがその言葉を言う度に僕の逆鱗に触れていた。まーテレビにゃ出たいけどね。

言われる度に「そっすね」とヘラヘラ笑って答えていた自分にもいい加減腹が立つ。僕はその時点で理解し合うことを諦めていたんだろう。

今の仕事も前の仕事もわりとたくさんお客さんが来る場所での接客業なんだが、それでも僕の顔を見て「あの時~に出ていた方ですよね?」と言われたことは一度もない。それが僕の知名度の現実なのか、それとも僕の出演する作品を観に来てくれる人たちとは全く違うコミュニティが存在するのか。

多分そのどちらもなんでしょう。もっと頑張るよ。

話が戻りますが、人間は基本的には理解し合えないものらしい。きれいごとだけならいくらでも言えますが、事実そうなんだから仕方ない。

だってバックグラウンドが違うんだもの。見てきたものが違うんだもの。そりゃあ無理がある。

それでも、理解しようと努力するその姿勢に、意味があるんだと思います。

絶対的に理解出来ないけど、それでも繋がろうとする行為に、人間的な愚かさと美しさがあるんだと思います。

そしてその無駄にも思える努力が、ほんの一瞬でも、2、3秒でも通じ合った瞬間が、希望という言葉に一番近い瞬間なんだと思います。

僕は、その2、3秒を作品に乗っけたいのかもしれない。

人に理解されないことは辛い。しんどい。諦めそうになる。人を理解できないことも辛い。しんどい。投げ出したくなる。

それでも、それでも、と思うのです。

東京は寒い。それでも負けない。

明日も頑張ろ。

ちなみに、monophonic orchestraの稽古日誌、『モノフォ日記』(そんな名前だったんだ)も絶賛更新中。もはやこちらのブログよりも閲覧数が多い。なぜだ。

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