わが家。


どうも、須貝です。

先日、実家に帰って来ました。三泊四日とかなりゆったり。ぽかっと休みが出来たので。

と、言うのも、充電したかったということもありますし、それとはまた別に、目的があったのでした。

この間無事終演致しました箱庭円舞曲第十四楽章『とりあえず寝る女』の後、ずっと心の中に引っ掛かっている、というか確かめたい、というか、そんな風に思っていたことがありまして、そのことのために行ったのです。

自分にとって家ってなんだろう。
そんなことを考えていました。

この間の物語のテーマは、言ってしまえば家であり、母なわけで、とりわけ僕はその家の部分に何か強い引っ掛かりを感じました。誰しも自分の根っこと向き合う時期が周期的に訪れると思うんですが、そのタイミングと今回の話が、がっちりと噛み合ったような気もします。

僕の実家は今の家になる前は貸家でした。もうボロッボロの、通りすがる子供たちが、「ここって人住んでるのかな?」「まさか~」と言い合っちゃうくらいのボロ家だったそうで、そこを土地ごと買い取って取り壊し、家を新築したのです。

今でも自分の一番古い記憶を掘り起こすと、真っ先に出てくるのがそのボロ家です。全体的に灰色がかった、壁の脆い、薄暗い家。多分三歳くらいの時に、玄関に米袋を敷いて一人で遊んでいたのが、自分の最初の記憶です。確かその頃母は双子の弟を身篭っていました。

室内のどこに行っても怖い家でしたけど、とても愛着のある家でした。その家をいよいよ取り壊す時、母が泣いていたのを子供心によく覚えています。

その家はもう見ることは出来ないけど、新しい家を建てている間、住んでいたアパートがあります。僕はなぜだか無性に、そのアパートを見に行きたくなったのです。確か小学校二年生くらいの時に住んでいたアパートです。一年か二年くらい、住んでいたように思います。

そのアパートは今でもまだあって、実家近くの駅に向かう電車の窓から見ることが出来ます。三つ並んだ平屋の、ごくごく小さなアパートです。

ついこの間の肌寒い日、春だってのに全国的に寒かった、その日に僕はちょいと散歩気分でそのアパートを見に行きました。改めて見に行こうと思うと、ちょっとドキドキします。

実家の横を通る大きな道路を暫く進んで横に折れ、ほとんど舗装されていない畦道を進みます。ここは確か昔、三男が自転車ですっ転んで大怪我した道です。

いくつかの古ぼけたアパートを横目に見ながら、あっという間に目的のアパートに辿り着きます。

なんだかこそばゆいような恥ずかしいようなそこにいてはいけないような、そんな気持ちになりながらアパートの前に立つと、途端に寂しい気持ちになりました。気温がさらに下がったような気がしました。

このアパートに、僕らは当時家族六人で住んでいました。

子供部屋は一つ、二段ベッドを二つ並べて、兄弟四人で寝ていました。今思うと合宿所みたいですが。狭い所でも平気で寝られるのは、その時の経験のおかげかもしれません。

同じ学校に通ってはいるけど、今まであまり話したことのない人たちと友達になりました。プチ引越しですから。プチ転校生気分です。

その時仲良くなった子が、交通事故で亡くなりました。多分一緒に遊んだのは一、二度だったと思うんですけど、物凄く衝撃的な出来事でした。今でもよく覚えています。

兄が自転車で友達と一緒に遊びに行くのを、泣きながら追い掛けたこともあります。どこに行ってもくっ付いていく小さなガキは、そりゃうざったかったでしょうよ。

僕の学年は行事ごとではいつも雨に降られた学年で、運動会でも遠足でも雨が降らなかったことがない。

ある時遠足の途中で、朝から降っていた雨がいよいよ本格的に降り出したために途中で引き返し、子供たちが早めに帰らされたことがありました。僕は土砂降りの雨の中を、薄っぺらい合羽一つ羽織って、半分泣きながら家に帰りました。

玄関で出迎えた母はそれを見て驚いた後に大笑いし、なんだか僕も笑えてきて、着替えて食べ切れなかったおやつを一緒に食べました。

そんなようなことたちを、鮮やかに、思い出しました。

それでも目の前に並ぶ三つのアパートの内、どれに自分が住んでいたかすらも覚えていない、鮮やかに蘇ったそれらはあくまで思い出で、目の前に並ぶ障子の破れたみすぼらしいアパートは、自分には何一つ、感慨一つ、起こさせないものでした。だからとても、寂しくなった。

その時に、あぁ、僕の中にもうこの家はない、この家は死んだんだと思いました。

あの家に住んでいたという記憶が、今のこの家と遠く懸け離れた所にあるだけなのです。

自分にとって、あるいは全ての人にとって、「家」ってなんなんでしょう。

精神的に大事な「家」というのは、むしろ思い出の基点のようなものかもしれません。物理的に大事な「家」は例えば実家、今自分が住んでいる中野の家ですが、精神的に大事な家というやつは、また違うような気がするのです。
もちろん、実家も中野の家もどちらも精神的にも大事な家であることに間違いはないのですが。

その辺の感覚の正体をまだ探れずにいますが、考えれば考えるほど面白いことのように思われます。

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