日本の美術ってこれからどうなるんだろ?

今の日本って、美術への接し方、下手だと思います。

ちょっと真面目な話ですけど、今の日本の美術界が抱えてる問題って、美術館へ行けば簡単に分かるけど、改善されてはいないんですよね。

実はプーシキン美術館展に行って参ったのですよ、わたくし。東京都美術館でやってるんですが、印象派好きな日本人だけあって、金曜午後でしたけど、人がたくさんおりました。

毎回こういった企画展示、特にどこかの美術館の所蔵作品がやってくる、的なものに来るとたいてい思うのが、おじさん、おばさん、ひいてはおじいさん、おばあさんの鑑賞態度の悪さ、時に目に余ります。おばさんの三人組とか一番タチが悪い。人数集まって来てるだけあって、自分らが何やってるのかとかあまり考えないのでしょうか。上品に観ていらっしゃる方はあまり見受けません。もちろんいるんでしょうけど。

人が多ければ多いほど、我先にと人を押しのけて前へとにじり寄り、作品の但し書きを熟読、作品を隅から隅まで見落とさぬようにと見渡し、音声案内に耳を傾け、見終わると、出品目録片手に時間がないとばかりに次へと進む。一つの作品に対して何分割くか、最初から決めているかのようです。バッグが当たろうが肩が当たろうがお構いなし、「何突っ立ってんのよ?」とでも言わんばかりです。

作品のどの部分に感動しているのかは知りませんが、とにかくまずは作家の名をチェック。「あぁ、モネよ、ルノワールよ」と鬼の首取ったかのように話し、「ボナール?やっぱ無名な画家は劣るわね」などと言っております。(ボナールだって有名ですよ)

展示作品に関しては僕は少しがっかりした感があります。まぁ確かに日本人が好きなルノワールもドガもモネもマティスもゴッホもピカソもありましたけど…あったけど全体の作品の質を見ると、「ロシアの人たちに日本人はさぞなめられてるに違いない」、と思わずにはいられませんでした。僕も彼らの絵、好きだけど、世界有数のコレクションを持ってて、出してくるのがこれってどうなの?と少し思ったりして。マティスの「金魚」さえ持ってけば満足するだろう、とでも言わんばかり。しかも後半、三分の一の展示は、都美所蔵の同時代の版画作品…版画作品って!しかも同時代だからいいかって、んなわけないじゃないですか。

吉田兼好が「徒然草」の中で花、つまり桜を観賞する人たちの姿を描いている一節があります。「近寄って花をねめまわし、その下で酒を飲み食い物を食べてドンちゃん騒ぎ、果ては枝を折って持って帰ってしまったりする」、兼好はその様子を滑稽に、しかし一抹の寂しさも含めて描いています。情趣を解する知識人であった兼好にとっては、悲しい光景だったのでしょう。

思うに、彼らは「鑑賞」しているのではなく、単に「見て」いるだけなのでしょう。だから、日本の美術館でやってることって、絶対に「展覧会」の域を出ない。

多くの日本人にとって、「美術作品」って、観るもの、鑑賞者の位置に立って接するものでしかないのが現状です。何割かの人が創作します。そして大多数の人がそれを鑑賞したり、売買したりします。しかし、今の日本の鑑賞者の中で、「美術作品を育てる」という立ち位置にいる人って、ほとんどいないんじゃないでしょうか?
何も全員に専門的な美術の知識や、指導できる画力を求めるんじゃありません。

「最近は、芸人を育てるいい観客がいなくなった」、と言った人があります。芸事を観るある意味での厳しさ、彼らを育てていこうという暖かさが、今の観客にはない。テレビなどによって一方的に与え続けられることによって、妙に甘くなってしまったり、逆に小劇場界などでは、一部のインテリ的な思想から、無意味に否定的になったりする人が多いのは確かな現実だと思います。

果たして今の日本に、若い芸術家が育まれる土壌が、確固としてあると言ってしまっていいものでしょうか?

美術館という場に焦点を絞って考えます。
まず、日本は企画展が多すぎる。商業的過ぎるきらいがある。有名な絵画によって客寄せしているのです。そして多くの人が実によくそれにつられる(僕もそうです)。
しかし、それはしょうがないことです。なぜなら、日本には常設できるよい作品があまりないからです。要は人が呼べる作品を元から持っていればいいだけの話で、そうすれば入館料だって安く済むし、年中展示できるから人の混雑もなくなる。有名展だから人が混雑して、あまり作品を鑑賞することができないということを諦めている人も多くいるようですが、その状況が生まれてしまっていることが、そもそも問題なんだと思います。

「美に触れる場所」としての空間作りが、もっとあってもいいのにと思います。単純に多くの人に作品を見てもらうのであれば、ビッグサイトとかに絵を持ってって陳列すればいい。それなら簡単でしょ?人も多く集まるし、混雑もいくらか和らぐ。でもそれではいけないと勝手に思っているから、美術館なんていう閉鎖空間にたくさんの人を押し込む形になる。金儲けか、美の創造か、目的が定まっていないから中途半端になるんです。

そして時々あるのがデッサンの禁止。ペンによるデッサンを禁じるのは分かりますが(インクが作品に飛んだり、ペン先で作品を傷つけるのを防ぐ)、デッサンそのものを禁止するのは、人の混雑を防ぐためなんでしょうが、誰に何を与えることもない行為にしか思えません。
日本の美術館展示には、あまりに学術的な目的が削げてしまっているように思います。ほんとだったら写真撮影だって許してもいいんでは、と僕は思います。(フラッシュ撮影が作品を損なう原因となるらしい。どんだけ強いフラッシュだよ)
例えば外国の美術館では、美術を志す人がデッサンしに美術館に行ったりなんてのはよく聞く話です。商売なのは分かるけど、それに走りすぎると、文化を深くすることに寄与できないのではないでしょうか。

「美に触れる場所」、「美を創造する場所」としての美術館を求めるのであれば、方法はいくらでもある。よい作品を一枚買うだけでもいい。広く一般に開放して、入館料も安く、デッサンもでき、食事も気軽に取れる(美術館の高くておいしくないレストランではなく、お弁当のような)、公園のような美術館があれば、素敵なことだと思います。日本人は、美に対して構えすぎなんです、たぶん。

観る側に要求したいこともあります。有名な作家の有名な作品ばかりではなく、若い人たちの作品にも目を向けてほしい。
よいものを観たいのは分

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